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感情と合理性

今年の夏に
「ターミネーター2」
の3D版を観てきました

感情と合理性

この映画は1991年の作品
もう16年も経つんですね、、、
T2には特別に感じるものがあり
原作本を読み
劇場に4回も足を運びました

感情も痛みもなく合理的に
ミッションをこなして行く

当時の自分は感情は
合理性の反対にあり
邪魔な機能だと思っていました

そんなものに振り回されるのは
時間の無駄なので感情の振幅率を
自分で下げていたと思います

ところが不覚にも人間の感情を
理解していくターミネーターに
感動して涙する自分がいました

しかし、まだ感情の重要性は
感じていませんでした



そして、最近ふと思い出しで
観たのが「アンドリューNDR114」

感情と合理性

この映画は1999年の作品
当時は全く興味のわかない映画でした

何年か前にDVDで観て
いい映画だったなあ〜程度の感想でした

最近AI(人口知能)のことが気になって
改めて観てみると色んな気付きがありました

「アンドリュー」のあらすじはコチラ
https://goo.gl/16pwQp

合理性を求めながら
非合理に振り回される人間

合理性のプログラムからは
その意味が理解出来ない

改造を重ねて嫉妬や寂しさを
自ら感じることで人間を理解し
さらには死という機能まで
装備することで生きる意味を
見つけて行く、、、


人間がAIにやらせるのは
完全さを目指した合理性

合理性は計算出来る世界

円周率を永久に求めるような
一方通行に感じる

神という存在はそんな世界に
いるのかもなあ、、と思いました

答えを知ってる世界の住人が
どうなるかわからない機能

合理性の崩壊装置でもある感情を
組み込んで新しい世界を
作ってみたのかもしれないと思いました

もしも宇宙が人間を作ったのなら
宇宙が集めているのは感情という
合理性の世界からは生まれない
データなのかもしれない

そう思うと奇蹟のポジティブな感情も
悲惨な事件のネガティブな感情も
宇宙にとっては等しく欲しいデータ
なのかもしれません

データの総和をまた感情プログラムに
反映させて円周率の計算みたいに
どうなるかを見守っているのかもしれませんね

話が長くなりましたが
やっと感情の重要性に気付いてきました
という長い話ww


ドラゴンアート日記「Don't think, Feel !!」

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