人は何かに写さなければ
自分を観ることが出来ない
身近なところ
気になるところ
には自分が写り込んでいる
人に対して
「拒否されるかも」
と思っている人は
誰かや何かを拒否してる
自分に気づく時
人に対して
「小さい奴だなあ」
と思っている時は
自分の小ささに気づく時
人に対して
「もっとちゃんとやれよ」
と思っている時は
自分がちゃんとやっているのか気づく時
自分の問題は鏡に写りこんでいて
誰かや何かの問題のように観えてしまう
何かがわかったような
気になった時こそピンチで
何もわからなくなった
時こそチャンス
常に新しい自分を創造していく
身体の細胞は
常に生まれ変わり続けている
思考や生きる方向も
昨日の続きではなく
今日からの創造にフォーカスしよう
なんてことを考えていると
ブルース・リーが創始したジークンドーの
コンセプトを思い出しました

(1)は、「白紙」の状態です。(Partiality, 部分性)
闘い方を知らず、やみくもに殴ったり、本能的にかわしたりする素のままの姿です。
しかし、未熟ですが、ありのままの自分自身でもあります。

(2)は、「技」の段階です。(Fluidity, 流動性)
鍛えられ、磨かれた技術は洗練されますが、
自由な動きが制限されたり、直感(自分自身)よりも
覚えたテクニックを絶対的なものとしてしまう可能性もあります。

(3)は、「無」あるいは「自然のまま」の段階です。(Emptiness, 空)
厳しい練習を経て、長い年月のもと、本来の自分に戻った状態です。
自身にとって有用なものだけが身体に残り、動きはごく自然に、流れる水の如く…。
自然な調和を目指すこと・・・
そこに行く過程は
不自然な自然
であったり
自然な不自然
であったりする
上図の(2)にように知識や経験や観念が
かえって自然を邪魔してしまうのだ
そういう意味では
常に自分を信じつつ
自分を疑うという
矛盾した双方向の意識が必要なのだろう
思わぬ事象で自分の奥底にある
意外な観念と出会ったりする
それはそのことと
向き合うチャンスであり
そのことを
見つめるチャンスである
向き合うとは
その状態を知り
新たな方向へと向かうこと
見つめるとは
俯瞰して受け入れること
チャンスは今からここから
出来ることから自分から