神の愛
今年最初に浮かんだ閃きは
「もしも神様が一人しか愛せなかったらどうなる?」
でした・・・
きっと神様に愛されようと争いが起こり
愛された一人は嫉妬されて
その一人が亡くなったら神の愛も終わってしまう
愛の器が一人分しかないなら
子供が出来ても愛せない・・・
家族なんて
愛されたい戦争の修羅場となる・・・
家族というのは「愛する」を
増やすためにあるのかもしれませんね
「愛されたい」が争いのもとかもしれません
そして、その根源にあるのは
自分で自分を愛してないというのがある気がします
「自愛から慈愛へ」
自愛という種を育てて慈愛の実をつけるのが
人生の楽しみのひとつかもしれませんね
自愛というのはそもそも標準装備で
自分を否定することを学ばなければ
そのまま育てられる気がします
否定概念は悩みや深刻さを生みだし
楽しむ心に制限をかけてしますのかもしれません
もう少しアホになって楽しんで行くと
道が開けてくるのかもしれませんね
2018年、枠を外してワクワク行きましょう
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