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神々の試練シリーズ 下血と幽体離脱

Sugimoto Rendo 杉本 錬堂さんfacebookより
2014年2月5日

毎週水曜日の投稿・・神々の試練

先週はインターネットの環境が悪くて投稿できませんでした

3-2 下血と幽体離脱

遊びと、働き過ぎ――反動が来た。

37歳 12月

年末はお菓子屋さんにとっては一番忙しい月で、
お歳暮から始まり、クリスマスケーキ、
年末年始のお使い物のクッキーの詰め合わせ等で休む暇が無いほど忙しい 

それでも時間が、ちょっとでもあれば
夜はテニスに行って、その帰りはちょっとと言いつつ仲間と飲んでいた、

遅くなってしまうと、そのまま家に帰らないで町中の自分の店に泊まり、 
眠る時間をさいて働き、遊ぶ、眠る時間さえも惜しむので食べる時間も惜しんでいた

そのころの口癖は「早飯、早糞、即寝は芸のうち」
1分間でラーメンを食べ終わると自慢をしていたのだ

それは暮れも押し迫った26日 
クリスマスが終わってほっとした日だった

朝から何となく身体の調子がいまひとつで、
身体が、もぞもぞしていた

昼過ぎにトイレに行った時にトイレットペーパーに血が少し付いたが、
それほど気にはならなかった

その日の夜はウインドサーフィンの仲間の忘年会だった

忘年会が始まり、いつも真っ先に大騒ぎを始める私だが
この夜はどうしても胸がむかむかして嫌だったので仲間に
「悪い、今日はどうしても何か!調子が悪いから帰るわ」
と忘年会を中座して家に帰る事にした

仲間の「具合が良くなったら!!戻ってきてね」
という言葉を尻目にほとんど呑まず、食べずに車に乗った

帰り道、お腹が急に痛くなってトイレに行きたくなった

家まではもたないと思い、家までの途中にある自分の店に寄った、

店のシャッターを開け、トイレに駆け込んだ。

「お腹が痛い、下痢だ」子どものころの薬害のせいか、
もともと私は腸が弱い、何か変なものを食べるとすぐ下痢をしてしまう、
にもかかわらず異常とも思えるぐらい早食いだった

「フーーーッ良かったーー間に合って」

さっぱりして落ち着き、便器を見て血の気が引いた「真っ赤だ」

「どうして??痔か??」

アッまたお腹が痛くなってきた もう一度、便器に座った

ドバアッーと真っ赤な血が出た

「これは只事ではない」

トイレの扉のそばに電話があるので手を伸ばし
消防署のウインドサーフィンの仲間に電話をかけた

「もしもし、俺だけど・・・
 あのな、おしりからとんでもなく血が出ているんだけど、
 止まる様子が無い」

「それじゃあ 救急車に乗ったら、
 死んでしまうよ、救急車は一回、夜間救急病院に行く事が決まりになってるから」

「受け入れてくれる病院を探すから誰か連れてってくれる人を探しておいて」

そいつのすごい判断力だった。

電話を切って、もう一人のウインドサーフィンの仲間の太田富士夫に電話をした

「ちょっと大変な事になってしまっているので、すぐ来てくれ」

彼はなぜか私の言うことを何でも聞いてくれた、

眠そうな声だが「うん!!判った、すぐ行く」

それから家に電話をした

「落ち着いて、聞いてくれ、今、おしりから血が出て、止まらない、
 消防署の友達に連絡して病院を手配してもらっている」

「行く先の病院がわかったら、また連絡をするから」

家への電話を切った瞬間に電話のベルがなった

消防署の友達だった

「長岡の順天堂病院に行って!!話は通してあるから」

その間にもトイレに行かなければならない、ほどの状況だった

太田富士夫はコンクリートミキサー車の運転手で
普段はゆっくりとした運転をする男だが、この時は早い運転をした

血が出てから病院の手配、
太田富士夫への電話と家の電話を含め、15分ぐらいで
準備ができた。

順天堂までは山を越えて、いつもだったら一時間ぐらいはかかる

夜だということと太田君が飛ばしてくれたことで
、30分ぐらいで順天堂病院に着いた

深夜の病院だが 人が2~3人、待っていた

看護婦さんに血が止まらない旨を伝え、すぐに見て貰える事になった

診察室に入ったら若い医師が前の人のカルテを書きながら、

「どうしました?」と聞いた

「おしりから血が出て止まらないんです」

「いつからですか?」 

「・・・一時間前ぐらいから」

「そうですか」と悠長にカルテを書いていた、

「先生、すみませんが・・・トイレに行っていいですか?」

また、出血していてトイレに行きたかったのだ

「あっどうぞ!!行ってきてください」

ふらつく身体だが、さっと立って、
トイレに向かい、部屋を出ようとドアノブに手をかけた

気がついたら集中治療室の冷たい小さなベッドの上だった、

胸にはペタペタといろいろな線が張ってあって繋がれ、
周りに精密機械が忙しそうに音を立てながら動いている

見渡すと3人のお医者さん、当直していた若いお医者さんに、
この部署では一番えらい先生と思われる35~37歳ぐらいのドクターが

「何でもっと早く呼ばなかったんだ」

若い医師が「でも、先生、このクランケ、外来で来て、
診察してた時も冷静で、こんなひどい状態に見えなかったです」

「お前、そんな訳はないだろう」とドクターが言ったが・・・
ぼーーとした頭の中で「そうなんだよ、若い先生の言うとおり」なんだと思った

ドアノブに手をかけて出ようとした時、そのまま崩れ落ちるように倒れ

出血した血が床に流れたらしい

出血はなかなか止まらず、出血した血が
お腹の中にある程度、溜まるとドバーッと、おしりから出てくる、

ドバーッとくるたびに失神する、何回目かの失神のあと

ドクターが

「オイオイ!!この人の家族、呼んでいるのか?逝っちゃうぞーー」

・・・俺ってそんなに具合が悪いのか?

目を開けて周りを見渡していると

ドクターが

「おっ、気がついたか」 

 「先生、何ですか?」 

「うん、考えられるのは痔の大出血か、
 最悪は直腸ガンの出血か、今のところ判らないけど、
 ともかく今は出血を止めることが先決だ」 

「ふーーん直腸ガンが考えられるのか」

目を閉じて、どうなるんだろうと考えた

再び、目を開けると、病院に連れてきてくれた太田君が
白い紙の上っ張りを着て脇に立っていた

人差し指をクイクイと曲げて呼んだ、太田君の耳元で囁いた

「ありがとう、世話になったな、俺が、俺が死んだら・・・
 ウインドサーフィンの道具は・・・お前に・・・全部・・・あげる」

呻くように言った

太田君は引きつった顔で

「今、そんな事を言ってん時じゃないよ」と真剣に答えた

すかさず「ばーーか、冗談だよ」と言った

その直後、また出血して気を失った

長い時間が経っているのか、それとも瞬間なのか、
夢を見ているのか現実なのか判らない、
長い気持ちのいい眠りから覚めた感じがした、

頭の中はスースーして身体はフワフワして、とても気持ちがいい

向こうにベッドが見え、周りにはお医者さん達が誰かの処置をしている

どこかで見た事があるような・・・身体つき、腕、足、

誰だろう?・・・お、俺だ、俺の身体が見える どうして? 

俺の身体が見えているのだ!! 

他人事のように自分の身体を見ている自分がいる

横たわっている自分を横から見ていた。

理解できない複雑な気持ちだった

その時、輸血! 輸血の準備! とドクターが言った、

浮遊の意識の中で輸血はいやだと思った瞬間に
自分の身体に戻っていた

戻った身体を手にしたとき、身体全身の重さで不快感を感じた、

吐き気もあって、「不快だ」

何とか「オーーイ」と声を絞り出した

ドクターが耳元で「何だ!!」と聞いたので
「輸血はやめてくれ」と言った 「何で? 宗教か?」

引きつっている顔を無理にニヤリとさせ

「違う!!エイズが怖いじゃないか」と言った

ドクターは
「面白い男だなあ、わかった、何とか輸血をしない方向で考えてみる」

「だけど、どうしても駄目なら、輸血させてもらうからな」言ったので

黙って・・・うなずいた

ドクターは「輸血なしでいくぞ、点滴を増やせ、リンゲルを○本」

両方のわき腹に一本づつ、両腕に一本づつ計4本の点滴が始まった

身体中に虫が這っているような感覚になった、
身体をひねり、のたうちまわった
呼吸も上がり苦しい、

その時、ドクターが覗き込んで「さすがのお前も、苦しそうだな」

「今、楽にしてやるから」と言って、腕に注射を打った

瞬間、目の前に見えるものがセピア色に変わった・・・
それも見えなくなって気を失った。

目が醒めた、

ゆっくりと見渡すと周りには何台ものベッドがあって、

重症な人達がコードに繋がれ、
横たわっている、まだ集中治療室か
看護婦さんが隣に寝ている人の包帯を替えている、

それが終わるのを待って「すみません」と声をかけた

「あっ気がつきましたか?」

「何時ですか?」と聞いた

「31日の午前9時です、
 家族の方に意識が戻ったことを伝えますね」やさしく言ってくれた

まだ、・・・生きている 

31日かあ、3日間、意識不明で寝ていたのだ

「31日??大晦日だ」

年明けを病院で迎えたのは生まれて初めてだった

正月の病院は医師、看護婦さんが正月休みのために検査はできない、
診察もできないので外泊許可の降りた人達は自宅で正月を迎える

そのため、病院内に残っている患者さんは
「かなり重症」の人か、この期間に交通事故などの緊急で入院した人達だけなので
院内はわりと静かなのだ

私の状態は3日にはかなり回復して、出血も止まり、顔色も戻っていた 

スタンドにかけた点滴を引きながら自分でトイレに行くこともできた

運が悪い事に年末だったので、検査などは8日からなので、
それまでは何も食べられずに点滴だけだった、

点滴は不思議だ、黄色の液体を身体に注入しているだけで、
喉もかわかない、気分的に水が飲みたいと思うけど実際、喉は潤っている、

お腹はすくけど・・・我慢できる

食べる事もなく、点滴に繋がれているので、あまり動く事が無いので、
暇なのだ 何もする事が無く、暇なのだ ウオークマンを持ってきて貰い、
トップガンのテーマを聞いていたら、なんか気分が高揚してきて、
マドンナのライカバージンを聞いて、少し身体を動かし始めた

なんか調子がいいぞ、 早く社会復帰ができるように
身体をちょっと鍛える事にしようと考えた、

足をベッドに掛け、腕立て伏せを始めた、1回 2回 3回・・・41回、

その時「回診です」と看護婦さんの声がしたので、
慌てて腕立てを止めてベッドにもぐり込み、寝ているふりをした

「杉本さん回診です」と声をかけられたので毛布をまくり、顔を出した

ドクターが「杉本さん!何?してました??」と聞いた

何を聞いているのか分からなかったので「何も!してません」と答えた

ドクターが「じゃあ、これは何ですか?」
と点滴のビニール袋を手に取って振った

そのビニール袋に入っている黄色い点滴液が真っ赤になっているのだ

点滴をしたまま腕立て伏せをしたので血液が逆流して
点滴のビニール袋まで上がってしまったのだった

「検査が終わるまで・・・なるべく静かにしていてね」

このドクター、なかなか粋な男だ

こんな勇ましい話だけではない

大量出血の晩、ドクターの言った
「直腸ガンからの出血も考えられる」と言った言葉が残った

その時は腹をくくり、「なるようになるさ」と本当に思ったが
自分の身体が復調して、元気になってくると生への執着心が大きく膨らみ
この先、ガンで死ぬかもしれないと考えたら、夜も眠れなくなってしまった

まして病院ではする事もなく、ただ寝ているだけである

考える時間はたっぷりとある、

その時間を死に対して考える訳だから胸をかきむしられる感じだ

1月3日から検査が始まる7日の前夜までの4日間は、
ほとんど寝れない夜が続いた

昼間は見舞客が多くて、
なんとか体裁をつくろい、陽気にふるまっていたが
その陽気にふるまうこと自体が相当につらいのだ

夜はその反動で悲しくなるのである

これ以降 重症な人の見舞いは行かないように心掛けている

入院は14日間だった、結局、原因は判らず 大腸炎の出血と診断された




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